2008年9月23日火曜日

朝日新聞社説

2008年9月23日(火)付


麻生新総裁―自民党は生き残れるか

 自民党の総裁選は、予想通り麻生太郎氏が圧勝した。あす新首相に就任し、麻生内閣が船出する。

 いつもなら、自民党総裁選は事実上の首相選びであり、新政権の政策はどうなるのか、外交は……といったことが関心を呼ぶ。だが、今回は様変わりだ。間もなくあると予想される衆院の解散・総選挙に向けて「これで自民党は勝てるのか」が焦点である。

 本来であれば、新首相のもとでそれなりの実績を積み上げたうえで国民に信を問うというのが常道だろう。だが、今回はそこも違う。新政権への世論の期待が薄れないうちに、できるだけ早く総選挙にうって出よう。それが与党内の大勢なのだ。

 だからなのだろう、当初から勝利が確定的だった麻生氏にしても、骨太な政権構想を語るどころではなかった。選挙を意識してひたすら景気対策を強調し、もっぱら民主党攻撃に力を込めた。立候補した5氏の論戦が深みを感じさせなかったのも当然だった。

◆耐用年数が過ぎたか

 麻生氏が引き継ぐ自民党は、かつて経験したことのない危機にある。選挙向けに「顔」をかえてもかえても、政権維持に四苦八苦する。1年ほどの間に安倍、福田と2代の首相が政権を投げ出さざるを得なかったことがそれを象徴している。

 自民党は政権政党としてもはや耐用年数を過ぎたのではないか。そんな批判が説得力を持って語られている。

 結党から53年、官僚機構と二人三脚で日本を統治してきた。麻生氏は当選後のあいさつで、祖父の吉田茂元首相が生誕130年になることを披露し、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介という党草創期の指導者の名前を挙げた。

 伝統ある党を再生させようという決意を込めたのだろう。だが、麻生氏が直面するのは、まさに初代総裁の鳩山氏以来の半世紀の間に積もりつもったさまざまな矛盾のつけなのだ。

 官僚との癒着、税金の巨額の無駄遣い、信じられない年金管理のずさん、薬害エイズや肝炎の隠蔽(いんぺい)……。効率的で有能と思われてきた日本の行財政システムが機能不全を起こしたかのように、不祥事が止まらなくなっている。

 国土を開発し、豊かな生活を育むはずだった公共事業は、いまや800兆円の借金となって国民の肩にのしかかる。人口が減り、経済はいずれ縮小に転じるかもしれない。そのなかで格差を縮め、世代間の公平を保ちつつ豊かで平和な暮らしを守ることが本当にできるのか。

 自民党はこれまで、首相の首をすげ替えることで党の危機をしのいできた。だが、日本の現状を見れば、自民党に政権を託し続けていいのだろうか。民主党を頼りないと感じる人々にも、そんな危機感は深いはずだ。

 7年前、小泉新総裁が選ばれたときの総裁選を思い出そう。

◆選挙の顔への期待

 当時も、極度の不人気にあえぐ森首相が政権運営に行き詰まり、自民党は窮地に立っていた。頼みの綱と押し立てたのは「自民党をぶっ壊す」と叫んで人気を 呼んだ小泉氏だった。実際、その直後の参院選で自民党は圧勝し、以来5年半もの長期政権が続いた。一時的ではあったが、小泉氏は確かに党を救った。

 総裁選で麻生氏が圧勝したのは、同じ役回りを国会議員や党員に期待されてのことだろう。重要閣僚や党幹部を歴任した経験に加え、若者にも人気があると言われる麻生氏だ。「選挙の顔」に最もふさわしいと見られたのは自然なことかもしれない。

 だが、小泉氏が大派閥の推す本命、橋本元首相を破って首相の座についたことひとつを取っても、両氏の間には本質的なところで違いがありそうだ。

 麻生氏は、最大派閥を事実上率いる森元首相がつくった流れに乗って、総裁選で順当に勝ちをおさめた。看板の政策は、自民党の大勢が望む景気対策であり、財政出動だ。

 一方で、国民に負担を強いる政策は早々にお蔵入りにした。「日本経済は全治3年」というかけ声で、当面の消費増税論を封印した。かつて提唱した 「消費税を10%に引き上げて基礎年金を全額税方式に」という年金改革案についても「こだわるつもりはない」とあっさり宣言した。

 「構造改革なくして景気回復なし」と公共事業はもちろん、社会福祉にも切り込んだ小泉流の強烈な改革メッセージは、すっかり影をひそめている。

◆先送りではすまない

 社会に痛みも強いた小泉流からの脱皮を目指すというのなら、それもいい。だが、景気対策の名のもとに改革を先送りするだけでは、自民党が長年積み上げてきた矛盾をそのままにしようということにならないだろうか。

 世界経済の混乱で、景気の先行きはいよいよ不透明になってきた。麻生氏はこれを追い風に「景気対策」一本で小沢民主党と勝負する構えのようだ。

 ただ、有権者の不安はそれだけにとどまらない。人口が高齢化し、社会保障の費用は増えていく。それをどう負担していくのか。行政の無駄をなくすと言っても、半世紀もの間、官僚とともにその無駄を作り上げてきた自民党にできるのか。

 こうした不安や疑問に向き合わない限り、いくら「顔」をかえてみたところで自民党の再生はおぼつかない。

読売新聞

朝青龍が進退相談、親方に諭され休場へ

4敗目を喫して、厳しい表情の朝青龍=鈴木信之撮影

 大相撲の横綱朝青龍(27)(モンゴル出身、高砂部屋)が、両国国技館で開催中の秋場所10日目の23日から休場することが22日、確実となった。

 関係者によると、朝青龍は今場所、雅山に初黒星を喫した3日目の16日夜、師匠の高砂親方(元大関朝潮)に進退を相談していたといい、優勝22度の横綱の揺れる心情が明らかになった。

 雅山に敗れた夜、朝青龍は師匠に、「どうしたらいいか、分からない」などと漏らしたという。その場は親方に諭され、周囲とも相談して「もう一度、頑張ります」と、前向きに考えを改めた。その後も「頑張る」と言い続けてきた横綱だったが、相撲内容は精彩を欠いた。8日目で3敗と不振を極め、9日目の22日は、同じモンゴル出身の関脇安馬に、背中を向けて送り出された。

 今場所初の連敗で5勝4敗。高砂親方も取組後、「きちんと結論が出てから話します」と言葉を濁していたが、その後、「最悪でも休場」と、現役続行を報道陣に伝えた。

 先場所も左ひじ痛で途中休場した朝青龍は、次の九州場所(11月9日初日・福岡国際センター)で進退をかける。

 武蔵川理事長もこの日、「横綱が続けて休むと当然、そうなる」と話した。



「老コンサルの残日録」http://ameblo.jp/tkjsk0231hzannitiroku/より

衆院選・戦機熟す

今日の自民党総裁選挙は、予想通り麻生さんの圧勝で幕を閉じました。いわば誰かが書いたシナリオ通りの出来レースで、街頭演説も最後の頃は5人揃って民主党攻撃一色でした。国民は、やれやれ猿芝居がやっと終わったよ、といった感じでしょう。


民主党は、党首として小沢さんを無投票で信任し、執行部は300小選挙区にニュース性ある新人を含めて180人余の第1次候補を決め、マニフェストのベースになる政策の骨子も発表しました。与野党とも、イヨイヨ臨戦態勢、戦機が高まってきました。


それにしても、自民党総裁選挙の5候補者、それぞれ政策を述べ立てて国民に支持を訴えました(これがソモソモ面妖なんですが)、やらなければならない事がこんなにある、私はこうする、と。                                 


おかしいですねえ、永いこと政権与党にいた実力者なら、やらなければならない事がそんなに有るんなら、これまでやってこなかったことに対して『ゴメンナサイ』と言うべきですですよね、その辺の事はホッカブリ、だから国民は白けきってしまったんでしょう。


安倍さん、福田さん、責任放棄・敵前逃亡・投げ出し辞任、ドロドロ・シンドイ・カッコ悪い…ことはイヤだ、生まれ育ちとも元前総理大臣と同根の麻生さんはドウでしょう、答えは簡単です、解散総選挙、総理大臣の専権です。小泉さん以来でカッコイイ?


総裁選候補者5人のHP(ブログ)を見ると総て≪ご意見はこちらへ≫というのが有ります、現職の政治家・次を狙って いる人達は皆さん同じだと思います。衆院選の前に選挙区ごとの候補予定者がでてきたところで、そこへ質問などしてみたらドウでしょうね。ちゃんと返事が来 るかどうか解りませんが。


馬鹿げた自民党総裁選挙戦が行われていたさなか北京パラリンピックが行われていました。障害を持つ人達の強い意思と 彼等を支える人達のドラマが感動を呼びました。ホトンドの選手は、国・自治体・企業…のサポートも無しに、身近な人たちの善意のもとに鍛錬しパラリンピッ クに参加して活躍しました。政治・行政を私する人達に、こういう選手やサポーター達の爪の垢を煎じて飲ませたい、そう思いませんか。


日教組のHPより

  1999年8月9日、長崎に原爆が投下されて五十四年目の同じ日に「国旗・国歌法」は自民党の政権維持と一部野 党の政権参加という政治的な思惑の中で強行成立しました。しかし、この暴挙の直前におこなわれた新聞やテレビ各社の世論調査はそのどれをとっても六~七割 の国民が「日の丸」や「君が代」を国旗・国歌だと法律で定めることには反対である意思を明らかにしていました。政府が突然法制化の方針を打ち出してからお よそ五ヶ月間、世論調査に現れた国民の声は政府や推進勢力の思惑に反して性急な法制化に反対だとの意見が日増しに多数派を形成し、特に「君が代」の「君」 が天皇だという政府の統一見解が出された以降は、法制化に反対や慎重に審議すべきだとの意見が急速に広がり、国民世論の主流となっていたのです。  
  たしかに、「日の丸・君が代」は国会内での多数の力によって法制化されましたが、国会内外でのこの問題をめぐる多様な取り組みと運動は重要な成果を生み出しました。  
  その第一は、政府が法制化の最大の論拠としていた「国民への定着=国旗・国歌」という論拠がさまざまな世論調査を通してだれの目にも疑いえない形で否定さ れ、もろくも崩れ去ったということです。第二には、憲法や教育基本法の立場から「日の丸・君が代」の法制化に対する問題点が深く追求され、基本的人権と 「日の丸・君が代」の強制の矛盾点を浮き彫りにしました。特に国会での論戦によって子どもへの「日の丸・君が代」の強制は憲法が保障した内心の自由を侵害 するということを政府もしぶしぶ認めざるをえなくなったことは重要です。第三に、これまで「法制化しないことが知恵」と言われていた「日の丸・君が代」を 法の前に政府みずからが引きずり出したことによって、あいまいさゆえに許容してきた人々も含めて法制化反対の声が大きく広がり、学校の「教育課題」から 「国民的な問題」へと法制化反対運動の裾野は大きく広がり、闘いの規模も層も格段に広がったことです。たとえば1999年7月23日、同8月5日に開かれ た日比谷野外音楽堂を埋め尽くした集会は、党派を超えてこれまでにない広範な市民・学者・文化人・宗教者・弁護士・労働組合・民主団体が連帯しあい共同の 闘いをいっそう推し進めることが確認された画期的な集会となりました。

(2)「西の広島、東の国立」、ねらいは民主教育つぶし  

 「国旗・国歌法」が成立して以来、国会でくり返し国民に強制するものではないとの政府の国会答弁とは裏腹に学校へ強制の嵐が吹き荒れています。
  東京都では、都立学校での国歌斉唱率が全国最下位に近いとして「服務上の責務」と職務命令を明記した通達を各学校長に発しました。また、政府は文部省記者 クラブや国立大学にまで「日の丸」の掲揚を強制し、11月12日には天皇在位10周年記念式典での「日の丸」の掲揚を強く要請し徹底を図ろうと狂奔しまし た。  
  「西の広島、東の国立」という言葉が一部の新聞紙上を飾って以来、国立の教育への攻撃は常軌を逸したものでした。産経新聞は連日一面を使って悪意に満ちた 誇張と捏造をもとに「子どもが校長に土下座要求」とのキャンペーンを繰り返し、「特別ビラ」まで作って国立駅頭で配るなどの異例な攻撃をおこないました。 これらの一片の教育的な配慮のない報道がどれほど子どもたちの心を傷つけたかは計り知れません。一方、市内ビラ配布などをくり返しおこなっていた右翼は六 十数台の街宣車を全国から動員して国立市内を練り歩きながらあからさまな恫喝と威嚇をおこない、産経新聞が取り上げた国立二小には「子どもを誘拐して殺 す」などの脅迫状が送られてくるなど日常の教育活動に支障をきたす状態が生まれました。一部マスコミの執拗な「偏向教育」キャンペーンと右翼団体の恫喝に 呼応するかのように、自民党・公明党などは国会・都議会・市議会でこの問題をきわめて政治的に取り上げいっそう政治的圧力を国立の教育へかけてきました。  
  こうしたなかで、東京都教育委員会は2000年8月10日、それまで問題にもされていなかった「ピースリボンの着用」や校長に意見を言いにいったことなど 通常ならとうてい処分など考えられない行為を「服務専念義務違反」「信用失墜行為」として「戒告」「文書訓告」の処分を強行しました。この処分がきわめて 意図的で政治的な「みせしめ処分」であることは処分理由もさることながら、その後東京都教育委員会がおこなった「国立市立学校教育改善検討委員会」の設置 や「学校教育正常化に向けた改善策」を国立市教育委員会に提示するなど異例ずくめの施策によって明らかです。「国立市立学校教育改善検討委員会」はわずか 一ヶ月という短期間で「報告書」をまとめましたが、そこには教育課程の編成から学校運営の具体的内容、たとえば職員会議の司会や記録の担当者への指導や 「学年だより・学級だより」の検閲などといったことまで事細かく「改善策」があげられています。とくに見過ごすことができないのは、「報告書」が「すべて の区市町村教育委員会が本報告書を参考に、教育課程の編成・実施や組織的な学校運営について改めて見直されるよう期待しております」と述べていることで す。これは、国立市の「教育正常化」攻撃を突破口に、東京都のすべての学校や教育委員会を「報告書」に沿って管理統制しようとする宣言にほかなりません。
   「日の丸」の強制に端を発した国立市の教育への一連の攻撃の流れは、教育行政が「日の丸・君が代」問題を口実に有無を言わさず学校教育の細部にわたって 介入し、その意に添うよう学校教育を丸ごと管理統制することにこそ本当のねらいがあることをはっきりと示しています。このことは、東京都教育委員会が次々 と推し進めてきた「人事考課制度導入」・「勤務時間問題」・「ながら条例の手続き攻撃」など一連の攻撃の本質とまったく同じものです。

(3)憲法・教育基本法の立場    原点から「日の丸・君が代」の強制を問う  

  1943年、アメリカ連邦最高裁判所は国や自治体が生徒などに対して国旗敬礼を強制できるかということが争われた「バーネット事件」判決で次のように言っています。
  「いかなる地位の官吏でも、政治やナショナリズムや宗教その他思想問題について、これが正統であると決めたり、市民に言葉や動作によってそれへの忠誠を誓 うことを強いるようなことはできない。・・・・思うに、国旗への敬礼と宣誓を強いた地方当局の行為は、その権限に関する憲法上の限界を超え、・・・・知性 と精神の領域を侵すものである。」  
  日本国憲法はこうした思想良心の自由についての世界の知性と良識の到達点をふまえながら、「思想および良心の自由はこれを犯してはならない」(第19条) と謳っています。国会でもこの点をめぐって論戦がおこなわれ、政府によって思想良心の自由に対する憲法的保障は絶対的なものであり、人間としての本質に基 づく最高の価値を持つものだという主旨の答弁がおこなわれました。したがって、「日の丸・君が代」が法制化されたからといってこれを市民に押し付けること は「知性と精神の領域を侵すもの」であり、憲法19条によってこの国の国民に保障された「絶対的」な権利を踏みにじるもので、とうてい許されないのは明ら かです。  
  教育基本法が定める教育の目的が、明治憲法と教育勅語下における軍国主義と国家主義教育に対する深い反省とその否定の上に成り立っていることは周知のこと です。また「日の丸・君が代」が日本の引き起こした侵略戦争のシンボルだった事実は何人も否定することができません。そうであるにもかかわらず、学校教育 に「日の丸・君が代」を押し付けることは教育基本法の定める教育の目的から見てとうてい許されないものです。先の「バーネット事件」に対するアメリカ連邦 最高裁判所判決はこうも述べています。
 「青少年をよき国民に教育しようとするなら、まさにそのゆえに個人の憲法上の自由の保障に気を配らなければならない。自由な精神をその源で窒息させてしまわないように」  
  教育基本法はその第10条で「教育は不当な支配に服することなく国民全体に対し直接責任を負っておこなわれるべきものである」・「教育行政は、この自覚の もとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標としておこなわれなければならない」として、教育行政の教育内容への介入を厳しく戒めていま す。
  そうだから、旭川学テ事件最高裁大法廷判決(1976年)は「もとより、政党政治のもとで多数決原理によってされる国政上の意思決定は、さまざまの政治的 要因によって左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的営みとして、党派的政治的観念や利害によって支配されるべきでない教育にその ような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される し、・・・・子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、たとえば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内 容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定上からも許されない」と述べ、教育行政の教育内容への介入に厳しい枠をはめているの です。  
  国会の論戦のなかで、政府は子どもの内心の自由は「強制にあたるようなことがあれば、これは許されないもの」と認める一方で、教師の内心の自由は「外部的 行為となって現れる場合は、一定の制約を受ける」とも述べています。この見解がどんなに矛盾に満ちているかということは学校での具体的な教育の場面を考え れば明白です。卒業式などで「一同起立、国歌斉唱」という画一的で一方的な指導は子どもの内心の自由を侵害するもので許されないが、それを指導したり指示 する教師の行為は公務員ゆえに許されるというのです。指導する教師は子どもの内心の自由を侵すと同時に、自らの思想良心の自由をも侵すことになります。教 師への強制は子どもへの強制と不可分であり、教師の自由と子どもたちの自由は教育上一体のものだということは明らかです。

(4)唯一のよりどころは薄氷の世界

  「日の丸・君が代」が法制化され国旗・国歌となったとはいえ、この法律が学校へのおしつけの論拠になることはできません。政府は強制条項を断念したのですから。そうですから今もって「押しつけ」の唯一の論拠は学習指導要領です。
  政府文部省は学習指導要領は「法的拘束力」があるといいつづけていますが、その根拠はきわめて薄弱です。学校教育法施行規則25条は「小学校の教育課程に ついては・・・・小学校学習指導要領によるものとする」(中学は54条の2)と述べていますが、そのおおもとの学校教育法第20条は「小学校の教科に関す る事項は・・・・監督庁が、これを定める」(中学校は38条)として、あえて「教科」に限定して監督庁が定めることができるのであって「教育課程」全体に ついてはまったくふれてはいないのです。言うまでもなく「教科」と「教育課程」は同じではありません。教科は教育課程に含まれますが、決してその逆ではあ りません。特別教育活動(日の丸・君が代に関することが取り上げられている)は教育課程には含まれますが、教科内容とはちがいます。この点から見るなら ば、学校教育法施行規則はまったく学校教育法に対して越権行為を記しているのであり、「法的拘束力」の薄弱さはここにあります。
  こうした薄弱な法理論の上に作られた「法的拘束力」を唯一の論拠に、文部省の通達や教育委員会からの通知や指示が出され、時には校長からは職務命令が出さ れて「日の丸・君が代」の押しつけがおこなわれてきました。しかし、「教諭は、児童の教育を掌る」(28条)と明言した学校教育法が、戦前の国民学校令で 「訓導ハ学校長ノ命ヲ受ケ児童ノ教育ヲ掌ル」とした条文から「学校長ノ命ヲ受ケ」をわざわざ削ったことから明らかなように、戦後確立した憲法と教育基本法 の民主教育の立場からは「日の丸・君が代」の教育への押しつけは決して正当化されないものであることはしっかりと押さえておく必要があります。

(5)憲法と教育基本法の立場からこの問題を追及することの大切さ  

  以上、大まかですが憲法と教育基本法の立場から「日の丸・君が代」の強制に対する原理・原則的な検討をおこなってきましたが、この視点は今日の子どもと教育をめぐる世の中の動きを考えるときわめて重要だと考えるからです。  
  森首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」は委員の意見集約が不十分であるにもかかわらず「教育基本法の見直し」をその最終報告に盛り込みました。 「戦後教育の総決算」をもくろむ「教育改革」は民主教育のよりどころである教育基本法の明文改悪へと明らかにその標的をしぼり込んでいます。日本ペンクラ ブの「声明」が指摘するように教育基本法の明文改変は改憲への道です。  
  子どもの内心の自由を守ること、教職員の思想と良心の自由を守る闘いは、今日においてはなおいっそう憲法と教育基本法を守る闘いそのものだといえます。
  「エデュカス」に一文を寄せた林健一郎弁護士(全教弁護団)はその論文のなかで次のように述べています。
  「とりわけ未来の社会を担う子どもの教育に携わる教師の責務は重大です。その重大な責務を果たすためにここでは一度原理・原則に立ち返って、民主主義とは 何か、思想信条の自由はいかに重要な意義を持っているか、教育は本来どうなければならないか、といったような事柄についてしっかりと認識を深めることが求 められています。また、原理・原則に立ち返ることこそが実は日の丸・君が代問題のような無法な攻撃に立ち向かう有効な方法であるのではないでしょうか。」
 多くの先輩が私たちに残した言葉の一つに「教師は魂の義士である」という言葉があります。憲法と教育基本法の指し示した民主教育の理念を原理・原点から踏みしめることがこれほど私たちに求められているときはありません。  








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